山形の食文化をひと皿にあらわし
郷土の食を、未来へと繋ぐ温泉宿
開湯1458年(長禄2年)、備前出身の僧侶がこの地を訪れた際、温泉で傷を癒す鶴を見つけたことが起こりとして語り継がれるかみのやま温泉。時代の移り変わりとともに繁栄と衰退を繰り返しながら、湯町に新湯、高松など、7つの市街地からなる温泉街を形成してきました。なかでも葉山温泉は、昭和の終戦間際に開発された比較的に新しい温泉街です。
絶え間なく出ずる温泉は無色透明でほのかな塩味を帯び、古くから万病に効く美人の湯とされ、江戸後期から変わらぬ風情を残した町並みや、東に蔵王山脈を見渡すロケーションも併せて、全国の温泉好きの間でも知る人ぞ知る名湯のひとつとして数えられています。
今回ご紹介する宿・名月荘は、そんなかみのやまは葉山温泉の一角にあります。若き頃バリのリゾートを訪れた先代が、そのホスピタリティと高級感が同居した雰囲気に惚れ込み、すべてをかみのやまで再現したいと開いた旅館。非日常的な空間でありながらデニムでも訪問できるような親しみやすさに満ち、多くの常連客からの支持を集めています。また、和と南国、ふたつの雰囲気が入り混じる館内には、俗に言う「おもてなし」とはまた一線を画す、この宿だからこそとしか言えないような特別な雰囲気が漂っているのです。
「ときには旅館として、またあるときは別荘のような空間として。お客様それぞれが求める居心地の良さを、この宿で演出できるように努めています」と若女将の菊池成湖さん。前職はラジオのパーソナリティという異色の経歴を持ち、結婚を機に、それこそ話すプロからおもてなしのプロへと転向しました。話すという仕事は、決められた時間で終わりますが、“おもてなし”という仕事はまったく違うものです。まるで呼吸をするように、起きている時間は常にお客様のことを考え、客室や料理のスタッフと情報を共有しながら、過不足の無い自然な対応で迎えられるよう心がけていらっしゃるそうです。
そのようなホスピタリティは、この名月荘を名宿として構成する要素のひとつである、提供される料理にも反映されています。お客様一人ひとりの情報を把握し、部屋食でありながらも料理の鮮度や熱が伝わり、和洋中のどのジャンルにも捉われることなく、美味しいをかたちにした4つのお膳からなる名月荘流日本料理。木村料理長は話します、「食事を通じて、山形の魅力を感じてもらえる、かみのやまという地方都市を味わってもらえる。そんな料理を目指しています」と。労働人口の減少を理由に、会場での食事形式を選ぶ旅館が多いなか、同館ではお客様がプライベートを楽しめる部屋食という食事形態にこだわり、その質の高さから全国の味の宿に数えられています。
Terroir
この日、木村料理長からご紹介いただいたのは、魚、そしてお肉の秋の名月荘の献立を代表するメイン料理。まずは「のどぐろの塩焼き、松茸と自家製からすみを添えて」です。深海魚であるのどぐろの、旨みと甘味を携えた濃厚な脂には、香り豊かな松茸を合わせ、季節を楽しめるひと皿になっています。カリッとした皮目の香ばしさはもちろん、すだちを散らせた柑橘系の香りと、松茸の奥ゆかしい芳香に併せ、秋の味わいを引き立たせてくれます。ペアリングには山形を代表する酒蔵・男山酒造が仕込んだ大吟醸「壺天」。くっきりと輪郭が際立った辛口の壺天が、のどぐろの脂をさらりと流し旨みを増幅させます。しかしながら、注目すべきは自家製のからすみ。ブランデーの風味を活かすために、下限限界に調整された塩分濃度で、口中に旨みだけが溢れてくる、これだけでもメインを飾れるひと品。辛口の酒に合わせれば、口中に美味しさが溢れます。
Mariage
特製ソースでいただく山形牛ステーキ。同地域のワインとのペアリングは見事。
二つ目の料理として提供されたのが、「山形牛ステーキ ジャンボマッシュルーム 和風ソース」。美しい霜が入ったA5ランクの山形牛は室温に戻され、ロゼ、もしくはセニョンに近い焼き加減で。山形県は舟形町特産のジャンボマッシュルームを添えて、お宿特製の和風ソースにつけていただきます。このひと皿に合わせるのは、名月荘から2kmほどの場所にある、タケダワイナリーの「レ・フレール タケダ メルロ(赤)」。タケダワイナリーと言えば、2008年の洞爺湖サミットのオープニングの乾杯に使われた「ドメイヌタケダ キュベヨシコ2003」で全国的にも著名なワイナリー。その土地の料理を、同じ土地で作られたワインでとの思いでペアリングしたとのことです。
土地の持つ味わいを反映すると言われるメルロー種の、シルキーでミネラル分が高い個性が、肉に負けることなく際立ちます。ただ、この和風ソースが持つ存在感が素晴らしく、作り方をお伺いしたところ、勿体無いほどの高級肉をこれでもかと使い、香味野菜と長時間煮込んで作る
門外不出の品なのだそうです。このソースだけを求める声があまりに多いため、現在は自社ブランドとしての商品化を模索しているとのことで、皆様の食卓へ並ぶ日も、近いのかも知れません。
それぞれにとても素晴らしい料理ですが、名月荘流日本料理には、宿としてお客様に満足してもらうということ以外に、もうひとつのテーマがあるのだと言います。「美味しく召し上がっていただくとは別に、山形という土地に育った食材を見つけてもらうことも目的としています」と若女将。 甚五右ヱ門芋に勘次郎胡瓜など、どこの地方とも同じく、山形にも多くの在来野菜、伝承野菜というものが存在しています。それらの野菜は生産量も少なく、例え美味しいとしても、食べてくれる人が居なければその種を未来へと繋ぐことはできません。名月荘ではそれらの野菜を積極的に献立に盛り込むことで、山形の味を知ってもらうとともに、そのままではなくなってしまうだろう種を守る活動として取り組んでいるのだそうです。 「私もまだ出会えてない食材が山形にはたくさんあります。それらの食材を育てる生産者さんとともに、少しでも美味しい料理を提供していきたい。それはきっと、地域の文化を守ることにも繋がるかも知れないから」と、木村料理長。そんな食材への敬意が、美味しい料理を生み出す原動力になっているのだろうか。きっと今夜も名月荘は、食への喜びの笑顔で満ちているでしょう。