京都で磨いた腕と感性を郷土料理に込め35年
会津の歴史と文化を料理の中に描く
10数年にわたり京都で磨き上げた腕と感性を会津の郷土料理に注ぎ込む。多くの著名人からも愛される会津若松の人気店。
こづゆ、馬刺し、にしんの山椒漬けなど、福島の中でも独自の食文化を受け継ぐ会津。四方を山に囲まれたその立地が育んだ「ここにしかない味」が多くの人を魅了しています。
会津若松駅から南に約2km。会津若松市役所から程近い繁華街の一角。風格ある門構えと淡い光を放つ路地行灯が目に留まります。ここは、会津郷土料理の粋と地元の酒と味わうことができる居酒屋「籠太(かごた)」。その名は、鶴ヶ城下の外れ、江戸街道沿いの滝沢峠にかつて実在した茶屋の名前から取られました。
カウンターで腕を振るうのは、店主の鈴木真也さん。京都で10数年にわたり経験を積んだのち、1986年に料亭としてこの地で自らの店をオープンしました。以来35年。会津の食を愛する多くの人々が県外からもはるばる訪れます。
籠太が愛される理由。それは、京都で磨かれた鈴木さんの料理人として腕と感性、そして信念が、店の佇まいや味に滲み出ているからに違いありません。
会津若松市内で生まれ育った鈴木さん。高校卒業後、大学進学のため上京し、築地の料理屋でアルバイトをしながら大学生活を送ります。時は学生運動激しかりし頃。鈴木さんも時代の流れに巻かれその輪に混じり声を上げますが、一方ではそんな活動が自分の肌に合わないと感じていたと言います。
そんなある日、アルバイト先の大将から誘いを受けます。
「俺の知り合いの京都の店に行って働いてみないか。」
大学や学生運動の中に自らの居場所を見失っていた鈴木さんはその誘いを受け、京都へと移りました。これが後に人気店「籠太」の魅力を形作る大きなきっかけとなります。
「紹介されて行ったその店は、祇園のお茶屋さんやお茶の家元、西本願寺さんなどに仕出しをする店だったんです。仕出しと言っても届ける先がそういうところだから、本当に細やかないい仕事をする店でした。お寺さんに仕出しを運んでいって国宝の襖の目の前で盛り付けをするようなこともありました。”お前、これ汚したら大変だぞ”なんて言われながらね。」
その後、100年の歴史を誇る宿坊がルーツの鞍馬の料理旅館、美山荘でも経験を重ねた鈴木さん。10数年にわたり、目も舌も肥えた京都の人々や観光客に料理を提供し続けました。
「京都で何を学んだかと言ったら、料理というより文化を学んだということでしょうね。お茶のこと、野草のこと、掛軸や器のしつらえ。最初の頃はわからなかったですが、10数年いるうちに、染み入るようにわかってきた。あの経験がなければ、今こうしてお店をやっていること自体なかったと思います。」
Terroir
西の熊本と並ぶ馬刺しの産地として知られる会津。籠太でも郷土料理メニューの定番として人気の一品です。
会津の魅力とは何か。なぜ人は会津に魅かれるのか。地元で店を開くにあたって、鈴木さんはそんな想いを巡らせたと言います。
「会津に帰る途中、東京駅の八重洲口のコンコースに立って行き交う人を見ながら、この人たちを会津に呼ぶにはどうすればいいだろうと考えました。出した答えは、この人たちが持つ会津のイメージを壊してはいけないということ。京都もそうですよね。他のどこでもない、京都そのものを求めてみなさん京都へ行く。会津もそうでなければいけないと思いました。
だから、都会の真似事は一切していません。料理にしろ、しつらえにしろ、お酒にしろ、ここだけにあるものを期待を裏切らずに提供する。それを第一に考えて店を作っています。」
Mariage
京都で磨いた目利きの感性は、会津に戻ってからも活かされています。今や全国にその名を轟かせる会津坂下町 廣木酒造本店の「飛露喜」も、鈴木さんがいち早くその存在に注目したことからテレビや雑誌などで取り上げられるようになり、一気に知名度を上げていきました。今日の馬刺しは、そんな飛露喜の大吟醸と共にいただきます。
料亭として開業して35年。居酒屋にスタイルを変えて30年。鈴木さんの料理人としての嗅覚と感性は衰えることなく、一般のお客さんはもちろん、各界の著名人からも愛される名店としてその名を知られています。しかし、それは会津の食の魅力があってこそだと言う鈴木さん。最近はよく会津をこんなふうに例えて語るそうです。
「会津は日本のサン・セバスティアンだ」
サン・セバスティアンはスペイン北部の都市で、美食(ガストロノミー)の街として世界的に知られる観光地。そのサン・セバスティアンになぞらえて、鈴木さんは会津の食の豊かさ、多様さを讃えます。
「伝統的な郷土料理はもちろん、ソースカツ丼やそば、ラーメン、日本酒などを求めて多くの観光客が訪れる。しかも、どれもうまくて期待を裏切らない。規模は決して大きくはありませんが、これほど食の魅力が揃う町は珍しいと思います。地方の多くが衰退に頭を悩ませる中、会津は数少ない“生きている町“かもしれません。」
会津を代表する郷土料理である「こづゆ」。正月や結婚式などのめでたい席で振る舞われてきた料理ですが、近年はこのこづゆを目当てに会津を訪ねる食通も少なくありません。乾燥した帆立の貝柱など海産物の乾物で出汁を取る、海から遠い会津ならではの料理。会津若松市 髙橋庄作酒造店の「会津娘 純米酒」と共にいただきます。
今でこそ広くその名が知られるようになりましたが、鈴木さんは早くからこのこづゆに着目し、独自に研究を重ねた人物でもあります。
「私は先祖が会津藩士なんです。そんなルーツもあって、自分の先祖たちが守ろうとしたものを守りたい、知りたいと思うようになり、会津の文化そのものに興味を持つようになりました。こづゆに関しても、そんな想いの中で自分なりに文献を集め、勉強し、福島民友新聞で50回にわたって連載をさせてもらいました。おそらく、こづゆを体系的にまとめた最初の例だったのではないかと思います。」
こづゆを始めとした郷土料理を提供するにあたって鈴木さんがこだわること。それは、「変えないこと」だと言います。昔の会津の人が味わったそのままを今の人々に感じてもらいたい。そこにあるのもまた、鈴木さんならではの会津人としてのこだわりです。そして、会津の歴史と文化を料理の中に描くこと。それがご自身の、そして籠太としての永遠のテーマだと語ります。
「料理の腕だけで言ったら、私より腕のいい人なんて世の中に山ほどいますよ。私にできることは、会津ならではの価値をいかにお客さんに提供するかということ。店構えを武家屋敷のようにしつらえたのもそうですし、店内の部材に会津の桐を使ったりしているのも、すべて会津の価値を求めるお客様を裏切らないためです。
私は、価値というものが今ほど問われている時代はないと思っています。1ヶ月も経つと忘れられてしまうほど流行の流れが速い中で、どうやったら変わらない価値を提供していけるか。そこへのこだわりが、私の料理人としてのこだわりなんです。」